銭塚地蔵尊

銭塚地蔵

下山口にあり、石像の尊像は蓮華座の上にある立像で、右手には錫杖を握り、左手に宝珠を持った高さ約二尺(60.6センチ)の地蔵尊です。光背に刻まれた火焔光形式の変化などから16世紀後半に作られたとされています。

「摂津名所図会」や「摂津志」に下記のような伝承が残されています。

有馬郡山口村に山口某という者がいた。その妻は非常に賢婦で、家を治めることきびしく、婦人の常として、その子を教育することも単に口先だけでなく、身をもって示し、かりそめの行いもなかった。

始め貧しい暮らし向きであったころ、垣根を修繕しようして穴を掘ったところ、多くの銭がそこから出てきたので、下男が驚いてそのことを婦人に告げたところ、「武士たる者が勤めずして禄を得ることは家門の災であるように、ましていわれのない財を得ることは、自分としてはできない、その銭はもとのまま土中に埋めなさい」と厳命し、それを二人の子供たちにも見せてたしなめるような徹底した教育ぶりであった。

のちその二人の子供は立身して要職につき、その銭を埋めた塚の上に地蔵尊を建立して母の戒めとして供養した。

西宮市ホームページの銭塚地蔵のお話

にしのみやインターネットテレビ「ふるさと昔話」銭塚地蔵(動画)

東京浅草の浅草寺境内にも山口と同じ銭塚地蔵尊が祀られており、元禄三年(1690)に江戸から山口庄兵衛尉正信なる人物が公智神社に手水鉢を寄進していることから、この山口氏の子孫であると考えられています。

 

現在では地元の地蔵講の人々によって毎月1日、23日にお勤めが行われており、また8月24日には下山口の盆踊りと共に詠歌踊りが行われ、先祖の追善供養とすると共に地蔵盆のおまつりを盛り上げています。

踊り子は、3歳から13歳頃までの女児が中心で、夏休みに入ると踊りのお稽古が始まります。詠歌踊りの始まりについては定かではありませんが、江戸時代後期か明治初期と推察されます。古くは山口町域にとどまらず、有馬町や近隣の寺の落慶法要にも出張して踊っていたそうです。

詠歌には「銭塚地蔵尊」「善光寺」「花山院」「高野山」「中山寺」「清水寺」「宝厳寺」「一乗寺」「藤井寺」「石堂丸」「阿波重」「賽の河原」「南無阿弥陀仏」の13通りがあります。

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