山口町は、有馬温泉という全国的に有名なリゾート地に近いことから、古くから有馬と大阪、丹波、播磨をつなぐ街道の要所となってきました。
古くは、大化3年(西暦647年)に孝徳天皇が有馬温泉に行幸(ぎょうこう)された際に、この地に行在(あんざい)されたのではないかと言われています。
このページでは、飛鳥から江戸までの山口の歴史を年表とともにざっとご紹介し、今も残る寺社、街道、石造遺物で当時を思い起こしていただくことにしました。
この年表は、飛鳥時代から平成で構成されています。項目は大きな出来事から言い伝えまで、一般の年表とは趣を異にしています。正確さに欠ける部分もあるかもしれませんが、見た方が興味を持つことを第一に考えて作っています。>>>
山口が最初に歴史の舞台に登場するのは、大化の改新に関係した軽皇子(のちの孝徳天皇)とのかかわりです。民衆の生活はあまり記録されることはありませんが、これを読むと、私たちの先祖の姿がうっすらと見えて来そうです。>>>
山口には規模の大きなものではありませんが、たくさんの神社やお寺があります。どの神社も林業や農業といった生活と密接に結びついたものです。お寺については、文明年間(1469~86)に蓮如が名塩に来た祭に新たな真宗寺院五ケ寺が山口町に開かれたという特徴を持っています。>>>
山口町は古くから多くの街道が交わる要所でした。特に有馬温泉の往復で大きな役割を果たしていました。また、戦国時代には戦略上の重要ポイントであったようです。
2011年、新たに道標が設置されました。主要道であった播磨街道、丹波街道、湯山街道、船坂谷道、清水谷道に設置されています。
2011年、新たに道標が設置されました。主要道であった播磨街道、丹波街道、湯山街道、船坂谷道、清水谷道に設置されています。
山口は古くから街道のまちでもありました。そんなことから、道標を兼ねた石造物が多く点在し、往時をしのぶことができます。また、江戸時代には講が結成されて伊勢参りや西国巡礼などが盛んに行われていたようで、供養塔なども残されています。>>>
山口地域では、古代6世紀末頃の古墳が発掘されており、古くから集落が形成されたと考えられています。歴史の面影を感じさせる文化財も多く残されていますが、その一部をご紹介しましょう。>>>