飛鳥時代
631年 舒明3年 | 舒明天皇、有馬温泉行幸(日本書紀) |
638年 舒明10年 | 舒明天皇、有馬温泉行幸(日本書紀) |
647年 大化3年 | 孝徳天皇、有馬温泉行幸(日本書紀)(約3ヶ月) |
668年 天地7年 | 行基誕生。後年、船坂の鯉塚伝説に登場 |
奈良時代
713年 和銅6年 | 摂津国風土記逸文に巧地山の記事が見える |
平安時代
814年 弘仁5年 | 久々智氏の名が見える(新撰姓氏録) |
927年 延長5年 | 延喜式に公智神社の名が見える |
931年 承平元年 | 春木郷の名が見える(倭名類聚鈔巻六) |
1114年 永久5年 | 源大納言家の所領として山口庄の名が見える。(庄とは(1)「荘園」に同じ。(2)荘園廃止後も、荘園の名を受け継いだ土地などの呼び名。) |
1191年 建久1年 | 仁西上人が蜘蛛に導かれ中野二本松への伝説。有馬温泉の復興 |
南北朝時代
1335年 建武2年 | 後醍醐帝、山口庄を四天王寺に寄進される |
1352年 正平7年 | 後村上天皇、久智庄を小山五郎に与える |
1383年 弘和3年 | 船坂城を居城とした赤松孫四郎祐春が播州清水寺で自害 |
室町時代
1392年 元中9年 | 南北朝合一 |
1450年 宝徳2年 | 船坂という地名が見える(草根集) |
1461年 寛正2年 | 善照寺開かれるという |
1477年 文明9年 | 明徳寺は、これ以前の開創か?(蓮如上人自筆の六字名号が伝わっている。) |
1483年 文明15年 | 蓮如上人船坂を過ぎ有馬温泉入湯 |
1541年 天文10年 | 光明寺開かれるという |
1550年 天文19年 | 山口五郎左衛門時角、このころ山口の地を支配していたと言う |
1564年 永禄7年 | 丸山城(山口城)滅亡 |
安土桃山時代
1573年 天正元年 | 足利幕府滅亡 |
1574年 天正2年 | このころから山口に集落ができはじめたか |
1582年 天正10年 | 山崎片家、三田城に移り有馬郡を支配すると言う |
1582年 天正10年 | 本能寺の変 |
1585年 天正13年 | 秀吉関白となる |
1594年 文禄3年 | 速水甲斐守によって名来・下山口・上山口・中野の各村、石川久五郎によって船坂村の検地が行われる |
159年 文禄3年 | 秀吉が全国に検地を行う |
江戸時代
1603年 慶長8年 | 徳川幕府開く |
1620年 元和6年 | 有馬豊氏、筑後久留米に移動、有馬郡は幕府直轄領となる |
1636年 寛永13年 | 受西寺、秀益によって中興されるという |
1637年 寛永14年 | 島原の乱おこる |
1653年 承応2年 | 船坂村と蔵人・鹿塩村との間に山論が起こり、船坂村側の勝訴となる |
1657年 明暦3年 | 広田・中・西宮住民の船坂山林伐採について船坂村が尼崎藩に訴える |
1662年 寛文2年 | 慈円、正明寺の住職となり寺を中興したという |
1682年 天和2年 | 善空、西生寺を再興するという |
1689年 元禄2年 | 偈碑「未徹居士自偈」(受西寺) |
1690年 元禄3年 | 公智神社に山口庄兵衛尉正信が手水鉢を寄進 |
1707年 宝永4年 | 供養等「南無観世音菩薩」(光明寺境内・全9基) |
1714年 正徳4年 | 竹本義太夫没 |
1715年 正徳5年 | 石灯籠「奉寄進御神前」(公智神社境内・4対八基のひとつ) |
1716年 正徳6年 | この頃、製紙業が始まる。貝原益軒「山口村上下両村あり、紙を漉く所なり」 |
1735年 享保20年 | 松平遠江守家来によって船坂川など土砂留普請が命ぜられる |
1744年 延享元年 | 供養等「奉納西国三三所巡礼供養」(下山口墓地) |
1746年 延享3年 | 名来・下山口村は田安領となり、そのほかの村は従来どおり幕府直轄領 |
1778年 安永7年 | 道標「春山道清信士」(名来2丁目121番地) |
1785年 天明5年 | 道標「知空童女」(名来2丁目121番地) |
1791年 寛政3年 | 供養等「西国巡礼供養塔」(山口町郷土資料館) |
1814年 文化11年 | 供養等「奉遍禮西国霊場供養」(公智神社境内) |
1818年 文政元年 | 船坂村と生瀬村との間に間道のことで争いが起こる |
1830年 天保元年 | 伊勢神宮へのおかげ詣りで生瀬街道は大賑わい |
1835年 天保6年 | 墓碑「竹本増太夫塚」(下山口墓地) |
1836年 天保7年 | 墓碑(句碑)「宇滴宗圓墓」(名来字上平尻) |
1838年 天保9年 | 生瀬村は船坂村から大平山を譲り受ける |
1839年 天保10年 | 船坂村が清水谷の道幅を広げたため生瀬駅と争う |
1840年 天保11年 | 下山口村有志が、丸山稲荷神社に伏見稲荷大明神の分霊を勧請して奉祝。敬神講(百味講)をつくった。 |
1844年 弘化元年 | 道標「左 ありま」金仙寺墓地(現・光明寺) |
1845年 弘化2年 | このころ、畑山、高丸、名来の採鉱が行われた |
1847年 弘化4年 | 墓碑「竹本多賀太夫塚」(名来字上平尻) |
1851年 嘉永4年 | 墓碑「竹本加治太夫塚」(上山口2丁目7番地) |
1866年 慶応2年 | 有馬川洪水 |
明治時代
1868年 明治元年 | 王政復古 |
1873年 明治6年 | 山口小学校発足 |
1873年 明治6年 | 善照寺に船坂(船本)小学校を開く |
1878年 明治11年 | 船坂小学校校舎新築 |
1885年 明治18年 | 船坂に寒天の製造が始まる |
1899年 明治32年 | 駐在所が初めて設置される |
1901年 明治34年 | 山口小学校新築 |
1905年 明治38年 | 三田~有馬間にはじめてバス開通 |
1911年 明治44年 | 有馬川洪水 |
大正時代
1915年 大正4年 | 三田~有馬間に鉄道開通 |
1915年 大正4年 | 村立図書館及び巡回文庫をつくり、各地区を巡回 |
昭和時代
1934年 昭和9年 | 大日本国防婦人会山口分会結成 |
1938年 昭和13年 | 阪神大水害で大きな被害を受ける |
1942年 昭和17年 | 太平洋戦争起こる |
1943年 昭和18年 | 国鉄有馬線が国策により廃線となる。 |
1945年 昭和20年 | 終戦。風水害による田畑被害。 |
1947年 昭和22年 | 新制山口中学校発足 |
1951年 昭和26年4月 | 山口村が西宮市と合併 |
1974年 昭和49年6月 | 中国自動車道西宮北インターチエンジ完成 |
1978年 昭和53年3月 | 丸山ダムの完成(金仙寺湖) |
1978年 昭和53年9月 | 阪神流通センター完成 |
平成時代
1989年 平成元年4月 | 北六甲台小学校の開校 |
1991年 平成3年3月 | 盤滝トンネル(西宮北有料道路)開通 |
1993年 平成5年6月 | 山口町郷土資料館開設 |
1995年 平成7年1月 | 阪神・淡路大震災 |
2003年 平成15年4月 | 有馬口出入口~西宮山口JCT開通により 阪神高速7号北神戸線全線開通 |
2007年 平成19年3月 | 山口町域内下水道事業完成 |
2010年 平成22年3月 | 船坂小学校閉校 |
2009年 平成21年4月 | さくらやまなみバス が運行開始。 西宮市山口センターが業務を開始。 |
2013年 平成25年9月 | 有馬山口線バイパス道路開通 |
2018年 平成30年4月 | 盤滝トンネル(西宮北有料道路)無料化 |
令和時代
2019年 令和元年5月 | 令和に改元、憲政史上初の生前退位 |
2020年 令和2年 | 新型コロナウィルスが全世界で流行 地域での伝統行事等が、中止や縮小を余儀なくされた |
2023年 令和5年2月 | 山口小学校創立150周年 |