浄土真宗大谷派の寺であるが、江戸時代初期の貞享3(1686)年の火災で文書などを
焼失したため、創立年など詳しい事は分からない。
本尊の阿弥陀如来立像はヒノキの寄木造で目には玉眼がはめられており、
緩やかな線で刻まれた衣文(えもん)の様子などから鎌倉時代後半に作られたと考えられ、国指定重要文化財となっています。
これは近くにあった永蓮寺が焼けたため明徳寺に移されたといわれ、快慶作と伝えられています。
また教行寺を作った蓮如上人の掛け軸も残されています。
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