丸山稲荷神社

丸山稲荷神社本社境内 丸山稲荷神社本社拝殿

祭神  稲倉魂命(うかのみたまのみこと)

その昔、多田源氏の一族山口氏が当地(丸山山頂)に城を構え、その鎮守として祀られたのが初めといわれ、天正年間(1573年~1591年)に山口氏が没落後祭祀を為す者が無く絶えていました。 ある時、この地方に悪疫が流行し霊夢を受けた者が当社に祈願したところ、たちまち病が治ったようです。 これを聞いて人々の参拝が多くなったが、社殿は従来のままで荒廃が激しかったため、天保11年(1840年)6月、下山口村有志を中心とした近隣地区(現、神戸市北区や三田市)の信者篤志家の協力によって丸山講社(敬神講)が結成され、社殿を再建して伏見稲荷大明神の御分霊を勧請して祭祀されました。 豊年満作・地域産業発展の守護神として、多くの崇敬者からあがめられるようになり、大正9年(1920年)拝殿が改築され、丸山講社を解体して下山口居住者を崇敬者とし、収支に関する一切を区会計に編入されました。 いつから始まったかは定かではありませんが、「毎日当番お詣り」と称して下山口自治会会員の皆さんが輪番交代制で毎日稲荷本社へ詣でて、お供え(海の幸、里の幸、あげ)をされています。お詣りの後、お供えは持ち帰ります。

祭事                                 

歳旦祭   1月 1日
立春祭   2月 4日
初 午    2月の立春後、最初の午の日
夏季祭   7月28日
八朔祭   9月の第2又は第3日曜日
子供奉納相撲が執り行われる。
新嘗祭  11月23日
月例際   毎月 1日

 

 

阪神淡路大震災と神社修復

丸山稲荷神社 奥社 丸山稲荷神社 奥社境内

平成7年1月17日の震災により神社の全ての建物(本殿・拝殿・社務所・長床)が大破し、境内末社2棟が小破、燈篭2基が倒壊しました。 即座に地元の人々によって神社復興の基本構想が検討され、地区先人達の遺徳と神社の尊厳を継承し、神社の今後の発展を祈念して新本社を現在地(丸山山麓)に造営すると共に、山頂の旧鎮座地は[奥社]として整備し本殿の修復補強が行われることに決定されました。

新本社の造営と奥社の修築に多額の費用を費やされたが、丸山会、下山口自治会、その他多数の信者より多額の寄附金、銅板の奉納、物品の寄附を受けて、平成10年3月15日に建築工事は完了し、3月22日に稚児砂持行列、奉祝祭式典、奉納お神楽、餅撒きなど約380人の参加により、丸山稲荷神社の落慶奉祝祭は盛大に挙行されました。

奉納相撲

奉納相撲前の神事  稲荷神社奉納相撲1  稲荷神社奉納相撲2

丸山山頂にある稲荷神社(奥社)の境内東隣りに相撲場が有って、今も土俵跡が残っています。 その場所で毎年9月の八朔祭の日に無病息災を祈って地元の児童による奉納相撲が行われていました。 昭和10年(1935年)9月16日の奉納相撲の記録によると、午前中は山口小学校の生徒、午後は有馬郡の各小学校の生徒が参加しています。 戦後は宗教行事への参加が禁止されたため学校ぐるみの生徒の相撲は廃止されましたが、地元の子供の自由参加により奉納相撲は続けられています。 現在は新本社の造営に併せて境内に報徳学園 相撲部の協力を得て立派な土俵が造られて、そこで奉納相撲が行われています。

稲荷神社と狐

稲荷神社には狛犬でなく狐がいるのは諸説有るようですが、「稲荷」とは五穀豊穣をつかさどる神で、穀物を食べるネズミを狐が退治してくれるので、穀物の守り神として結びついたと考えるのが妥当ではないだろうか。

稲荷神社に狐と相性の悪い犬を連れて行くのは避けたほうが良いと言う言い伝えもあります。

丸山、城趾についてはこちら⇒

最寄りのさくらやまなみバス停:丸山下

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