さくらやまなみバスの北部方面終点の名来停留所から「愛宕橋」を渡ったところに
名来神社があります。実は名来神社は火の神さまと水の神さまの二つの神社の総称なのです。どちらも私たちの生活には欠かせませんが、ひとつ誤れば生命をも失ってしまうほど恐ろしいものです。お二人が仲良く鎮座しておられるのは、父と母が仲良くしているようで、微笑ましくもあります。
まず「火の神さま」愛宕社は「軻遇突智命(かぐづちのみこと)」をおまつりしています。古くからこの地にあり、だれがいつ頃、どのような理由で社地を拓いてお宮を立てたのかは不明です。昭和以降では、昭和4(1929)年に地区住民の共同作業で工事が始まり、1年半かけて昭和6(1931)年に京都の愛宕神社の神璽を受けて旧愛宕社(木造瓦葺)が完成しました。その後何度かの改築、鳥居の建て替えなどを経て、昭和49(1974)年に山口町徳風会の援助を受けて現在の愛宕社の社殿が建築されました。
つぎに「水の神さま」水神社は、昭和14(1939)年に前年夏の阪神大水害(文豪谷崎潤一郎の「細雪」にも記述があります)の被害を受けた人々が、将来の水害を防いでいただけるよう願いを込めて、東京日本橋の水天宮の神璽をうけ、祠を設けて祭祀したのが始まりです。「罔象女命(みつはのめのみこと)」をおまつりしています。
昭和60(1985)年には名来自治会によって修築整備事業が行われ、常夜灯籠32基、玉垣柱46本もの地域住民の寄付により、現在の形が整えられました。以後、名来地区の鎮守の神さまとして、多くの人々に崇敬され、編集部子も年末の歌番組のあと、一家そろって初詣するのが年中行事となっています。(参考文献:山口町史)