いつ頃、誰が、どんな理由で祀り始めたのかは不明ですが、上山口地区の守り神として大切に祀られています。 稲荷信仰では、地名を冠して呼ばれることも多いので、鎮座地字名の「城ノ垣内」をとって、城ノ垣内稲荷と呼ぶようになったと言われています。 昭和57年、敷地の整備と拝殿の新築以降、上山口...
川上の滝の少し北(船坂側)に高さ7メートル、横幅15メートル、厚さ5メートルと言われる巨大な石がすわっている。(見えているのは一部) 聖武天皇のころからこの岩に大己貴命、少名彦命、猿田彦命の3神を祭っていたが、その後地元の神社に移し、山王神社と名づけたと言われている。(有馬郡誌) 「...
浄土真宗大谷派の寺であるが、江戸時代初期の貞享3(1686)年の火災で文書などを 焼失したため、創立年など詳しい事は分からない。 本尊の阿弥陀如来立像はヒノキの寄木造で目には玉眼がはめられており、 緩やかな線で刻まれた衣文(えもん)の様子などから鎌倉時代後半に作られたと考え...
平安時代の『延喜式』にも出てくる公智神社は代々山口の氏神。 木材の神といわれる久々能智(くくのち)の神を祭神として祭られています。 秋祭りには上山口・下山口・中野・名来・金仙寺地区の合計7基のだんじりがそろい、名来地区に伝わる獅子舞が奉納されます。 平安時代の『延喜式』にも出て...
下山口にあり、石像の尊像は蓮華座の上にある立像で、右手には錫杖を握り、左手に宝珠を持った高さ約二尺(60.6センチ)の地蔵尊です。光背に刻まれた火焔光形式の変化などから16世紀後半に作られたとされています。 「摂津名所図会」や「摂津志」に下記のような伝承が残されています。 有馬郡山口...
祭神 稲倉魂命(うかのみたまのみこと) その昔、多田源氏の一族山口氏が当地(丸山山頂)に城を構え、その鎮守として祀られたのが初めといわれ、天正年間(1573年~1591年)に山口氏が没落後祭祀を為す者が無く絶えていました。 ある時、この地方に悪疫が流行し霊夢を受けた者が当社に祈願し...
プレビュー(新しいタブで開く) 昔は尼僧がおられましたが、現在は無人のお堂。近隣の住人の方々がお守りされています。この横からの丸山への登山道が、一番緩やかに登れます。 最寄りのさくらやまなみバス停:金仙寺...
黄金山 善照寺 真宗大谷派(東本願寺末寺) 創立 寛正2年2月10日(1461年) 沿革 初めは浄土宗であった。室町時代、本願寺八世蓮如上人来錫のおり上人に帰依するのもが多く真宗になったと伝えられています。 開基 釈善想 本尊 阿弥陀如来 (別名、浮足如来さんとして広く...
山王神社の裏側(東側)を回り込むと木の鳥居のある山があります。 少し急な登り道だが、小さなお社がていねいに奉ってありますが、ここから見下ろす集落の風景も素敵です。 祭神 国玉大明神 明治34年(1901年)に農耕、殖産興業の神である稲荷大神(国玉大明神)を伏見稲荷大社より勧請し、現...
祭神 大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)、猿田彦命 祭事 3月;五穀豊穣記念祭、7月;夏祭り、11月;五穀豊穣感謝祭、 当神社は、天正年間(1578年頃)、別所長治の祈願所であったため織田信長軍の兵火にあい、社殿などことごとく焼失したと伝えられる。そのため、...
西宮山口