湖底に沈む前の風景【徳風会提供】
・・美しい景観の金仙寺湖(丸山ダム)
山口では飲料水の質、量を確保するため、昔からさまざまな努力を払ってきました。
船坂地区は昭和32(1957)年7月、山口地区は昭和33(1958)年8月簡易水道が給水を開始しました。
昭和30(1955)年代後半には急増する水需要を解決するために、山口・名塩・生瀬地区を含む「北部水道事業計画」が策定されました。船坂川をせき止め、丸山貯水池(金仙寺湖)を築造し、多くの地区に上水を供給する構想でした。
川沿いの民家、寒天工場、田畑などが湖底に沈み、昭和53(1978)年3月に8ヵ年の歳月を要して貯水池はようやく完成しました。
甲子園球場7個分以上の広い湖の周辺は遊歩道が整備され、植樹で増えた桜や紅葉の時期には大勢の人でにぎわう憩いの場所となっています。
注:現在、湖岸東側道路は通行できません。
【宮っ子(山口版)やまぐち異聞録より】