戦後の混乱期を切り抜けて町に明るさを取り戻したころ、山口に鼻の長いボンネットバスが走っていました。ガソリン車こそが復興のシンボルでした。坂道の大阪街道、でこぼこ道の有馬街道をあえぎながらも走っていました。
昔を知るお年寄りは「ガソリン車になって良かった。戦争中は木炭バスやった」と懐かしみます。バスの後部に木炭をたく窯を背負い、発生させたガスを燃料に走っていた木炭自動車。古い山口ならではのバスの歴史をうかがい知れます。
苦労した木炭バスも昭和24(1949)年にはボンネットバスが引き継ぎ、今では鼻のない馬力の強い近代バスが山口の足となっています。
今も明治橋は交通の要所
【宮っ子(山口版)やまぐち異聞録より】