名来と神戸市の境界近くの丘陵地帯。そこに薄暗く口を開けた無気味な横穴。50年前の発掘調査で、意外なことに古墳であると分かりました。
青石古墳と呼ばれるようになったこの古墳は高さ約1m、直径約13mの古墳時代後期の横穴式の石室古墳で、内部は花崗岩。天井は巨大な石で覆われていました。
6世紀後半から7世紀前半のもので、巨石の大きさからかなり勢力のある豪族が山口地方を支配していたと推定されます。古墳が築かれた時期は、飛鳥文化の末期で「日本書記」に記載されている舒明天皇や孝徳天皇が有馬温泉へ行幸された頃と前後します。
巨石を積み上げる古墳造りや天皇の行幸に伴う大勢の付き人たちの宿舎の設営など、当時の人たちは大変だった様子がうかがい知れます。
【宮っ子(山口版)やまぐち異聞録より】