太夫の語り(浄瑠璃)と三味線による音曲に合わせて人形遣いが人形を操り演じる今日の文楽(人形浄瑠璃)のルーツが西宮であることは、西宮が人形操り発祥の地と呼ばれていることから、ご存知の方も多くおられると思います。人形遣いの芸を西宮神社で披露していた傀儡師たちが、「えびすかき」でえびす様のご神徳を広めて...
江戸時代、盛んであった浄瑠璃 山口地域に残る三太夫の墓碑 江戸時代の娯楽といえば祭りや盆踊りなどに加えて、浄瑠璃があります。浄瑠璃は三味線を伴奏楽器として太夫が物語を語る音曲・劇場音楽で、近くでは淡路島の人形浄瑠璃が有名です。 当時、山口地域でも浄瑠璃が盛んに行...
昔の街道を伝える船坂の古い道標 船坂内の県道51号沿いに立つ「善照学園」の看板の向かいに、古い石の道標がポツンと立っています。 道標には「右西宮・左大阪宝塚道」と刻まれ、裏面には「大正4(1915)年2月定之」と刻んであり、約100年前に設置されたものです。この道標は以前、太田川源流...
名来と神戸市の境界近くの丘陵地帯。そこに薄暗く口を開けた無気味な横穴。50年前の発掘調査で、意外なことに古墳であると分かりました。 青石古墳と呼ばれるようになったこの古墳は高さ約1m、直径約13mの古墳時代後期の横穴式の石室古墳で、内部は花崗岩。天井は巨大な石で覆われていました...
西宮市山口町は昔からいろいろな街道が交差しているところで、歴史的にも様々な痕跡が残っています。わが町を見直すきっかけになり、さらに山口町に来ていただく方々のためにも、その街道の整備を考えようという動きが出来ています。 実際に整備されるまでは、まだ少し時間も必要なようですが、2010年に発行され...
はじめに 山口の歴史については、有馬郡誌(昭和4年・兵庫県有馬郡会発行)、山口村誌(昭和48年・西宮市発行)、山口町史(平成22年・財団法人山口町徳風会発行)で詳しく述べられています。 ここでは、この3冊の書籍をもとに、編集部が個人的興味とこのホームページの果たすべき役割を念頭に書いてみました。...
山口地域では、古代6世紀末頃の古墳が発掘されており、古くから集落が形成されたと考えられています。 歴史の面影を感じさせる文化財も多く残されていますが、その一部をご紹介しましょう。 明徳寺の阿弥陀如来像 国指定の重要文化財 像高81.2cm、ヒノキの寄せ木づくりで上山口の明徳寺に安置さ...
湯山街道 古代、有馬は湯山とも呼ばれ、「生瀬―船坂―金仙寺―湯山」への道を湯山街道(或いは有馬街道)と呼ばれた。この街道は京都、奈良方面から湯山への主要街道で多くの文人達も通っていた。また、行基菩薩や弘法大師、有馬温泉を復興した仁西上人にまつわる言い伝えや豊臣秀吉の「太閤のしるべ岩」など多くが残っ...
青石古墳は標高約250mに位置し、谷地形の奥、南西に傾斜する山地斜面に造られた円墳です。直径約13mで、内部には横穴式石室が築かれています。石室は全長7.16m、幅1.4mを測り、中央部分の幅が広い「胴ばり」状を呈しています。 昭和41年に発掘調査が実施され、須恵器や土師器、鉄釘が検出されまし...
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