地域で守り続ける丸山稲荷神社 毎年、八朔大祭に奉納相撲や餅まきでにぎわう丸山稲荷神社は、戦国時代、丸山山頂に多田源氏一族の山口五郎左衛門時角が城を構え、鎮守のためまつったのがはじめといわれています。 天正(1573~1592)のころ、城主の五郎左衛門が没落し、祭祀は途絶えまし...
☆第9回山口フォトコンテスト 毎年力作が揃う山口フォトコンテストが第9回目を迎えます。 山口地域の豊かな自然や歴史と伝統のある祭りに携わる人々の姿など、 心に響いた瞬間を写真で表現してみませんか。 応募用紙と募集要項はこちらからダウンロードできます。 西宮市山口ホールに...
中国自動車道の西宮北インターチェンジ(IC)は、山口町の陸の玄関口です。 国土開発の基幹自動車道として、大阪府吹田市から西は山口県下関市まで500kmを超える長大な中国自動車道が完成した昭和50(1975)年、物流センターなどの開発、それに続いて山口町の山林など無人地を切り開き、西宮北IC...
金仙寺湖の北側にある丸山は自然に群生するコバノミツバツツジの名所で、満開の時期には山肌を濃いピンクに色づけ、また参拝道(登山道)脇にも多くのツツジの木が群生しすばらしい眺望を与えてくれます。 コバノミツバツツジは株によって開花時期が異なるのか、つぼみの堅い木や開花している木が有り、長い期間楽しめそ...
☆第8回山口フォトコンテスト作品展示会&表彰式 第8回山口フォトコンテスト応募作品の展示会が平成30年2月28日(水)~3月4日(日)まで、西宮市山口ホールにて開催されました。 今年はひとり1点の応募で87名の作品が集まりました。 特選に輝いたのは豊智子さんの『バブル_ダンス』。 ...
紙すきや竹籠作りなどを副業としていた平和な山口の里が大きく変貌したのは、昭和46(1971)年、町の西はずれの畑や野山に巨大な流通団地が出現したからです。 県が阪神地区の物流拠点として計画し、中国自動車道の西宮北ICに近いということで白羽の矢を立てました。総面積84ヘクタール。総事業費268億円。...
北六甲台小学校は山口町の変貌の中から生まれました。 山口町など北部地域は、昭和38(1963)年7月の近畿圏整備計画で、昭和40年代後半から計画的な市街地開発が実施されました 大きな居住地となった北六甲台住宅団地(昭和62年完工)、翌年にはすみれ台住宅団地、さらに上山口・丸山土地区画整理で、周辺...
船坂地域は六甲の山麓に広がる緩やかな傾斜地で、農地が少ない所です。歴史は古く、鎌倉時代初期(1200年ごろ)には有馬温泉に近いことでその名が出ています。 地域の勤勉な村人たちが田畑を広げる手段として、傾斜地の開拓に乗り出したことは容易に想像できます。森林を切り開き、石を積み上げて段々畑を作るのは大...
六甲山系の北側に位置する船坂地区は、海抜400M前後になります。 その冷涼な気候を利用して、昔から寒天作りやパセリなどの清浄野菜が栽培されてきました。 最近では、船坂の段々畑の一部の休耕地を利用してソバを栽培しています。 8月に種まきをして、現在は写真のように白い花が咲いています。 ...
山口中学校は戦後の教育制度の改革に伴い、昭和22(1947)年に山口小学校に併設するかたちで発足し、今年で創立70周年を迎えます。 地域の教育熱心さと努力により、2年後には木造2階建ての旧校舎が旧小学校の横に完成しました。 「昼になると家に帰り、ご飯を食べて、また学校に行った」「運動会は小・...
西宮山口