紙すきや竹籠作りなどを副業としていた平和な山口の里が大きく変貌したのは、昭和46(1971)年、町の西はずれの畑や野山に巨大な流通団地が出現したからです。
県が阪神地区の物流拠点として計画し、中国自動車道の西宮北ICに近いということで白羽の矢を立てました。総面積84ヘクタール。総事業費268億円。造成工事は昭和53年に完工。食品、家具などの卸商業団地、倉庫団地、運輸団地の100企業、6000人が働く物流団地として大きな地歩を占めています。
各企業が年2回の安売りのバザーを開いて、地域の人たちとの交流を深め、山口の新しい町づくりの引車にもなっています。
【宮っ子(山口版)やまぐち異聞録より】