地域で守り続ける丸山稲荷神社
毎年、八朔大祭に奉納相撲や餅まきでにぎわう丸山稲荷神社は、戦国時代、丸山山頂に多田源氏一族の山口五郎左衛門時角が城を構え、鎮守のためまつったのがはじめといわれています。
天正(1573~1592)のころ、城主の五郎左衛門が没落し、祭祀は途絶えましたが、その後、この地方に悪疫がはやり、霊夢を受けた人が神社に祈願したところ病が治り、これを聞いた多くの人たちが参拝するようになりました。
天保11(1840)年6月、下山口村の有志が中心となり、荒廃の激しかった社殿が再建され、伏見稲荷大社の御分霊を歓請して、五穀豊穣の神として祭祀されました。
平成7年の阪神・淡路大震災で大被害を受けましたが平成10年3月に、丸山山麓に新本社を造営し、山頂の本殿も奥社として修築され、下山口地区の人たちは、今も「毎日当番お参り」と称して、順番で本社に詣でています。
【宮っ子(山口版)やまぐち異聞録より】