村の生活を潤した竹籠づくり【徳風会提供】
輸出の主力、ピクニック籠
山口の名産・竹籠づくりの歴史は波乱に富んでいます。
はじめは有馬温泉の土産物「有馬籠」でした。農家で細々と作られていたのが、明治の半ばに静岡茶の輸出容器になり生産は急上昇しました。
戦争中は貿易が停止。戦後、竹籠がピクニック用品としてアメリカなどに輸出。最盛期の昭和37(1962)年には生産の戸数が206戸、従事者501人。その他に下仕事、または部分品の加工など何らかの形で竹籠づくりに関係した戸数は、町域全体の80%近くに達していました。
製品の質も高く工芸品の輝きがありましたが、安いプラスティック製品などに押され、衰退して、今では竹籠を作っている家は1軒もありません。
【宮っ子(山口版)やまぐち異聞録より】