寒天作り風景【徳風会提供】
天草を煮た大釜【山口町郷土資料館】
船坂は冬場の冷え込み、水のきれいな船坂川など寒天づくりには最適地でした。明治18(1885)年、地元の有志3人が共同出資して寒天製造工場を立ち上げました。
船坂の寒天は高級品の「細寒天」。戦前は台湾などへも輸出していました。大正末期から昭和初期の最盛期には船坂川の流域に15工場、天草を煮る大釜が59もありました。
それが戦後には食生活の変化や海外からの安い寒天に押され、平成10年、最後の1軒の工場が閉鎖。113年の寒天づくりの歴史を閉じました。
【宮っ子(山口版)やまぐち異聞録より】