さようなら橋脚 現地見学会 主催:山口・船坂校区青少年愛護協議会
昭和18年6月30日(1943年)国策により廃線となった有馬鉄道。
全線を通じても代表的な遺構と言える橋脚や橋台が山口町中野十八丁川に残っています。
しかし、有馬山口道路改良工事に伴い取り壊されようとしています。
最後の姿を見に行きませんか。
※台風接近のため、9月3日の見学会は中止になりました。
9月3日(土)10時~12時 雨天決行
橋脚横の新井組現場事務所前に9時50分に集合してください。橋脚取り壊し工事などの説明を聴くことができます。
(10時~12時の時間帯で自由に見ることができます。)
駐車場はありません。
バスか徒歩でお出でください。さくらやまなみバス中野バス停から徒歩5分です。 連絡先 本田三延 電話090-3495-0266
この橋脚の歴史
西宮コミュニティ協会が発行する、西宮市民の地域情報誌「宮っ子」の第21号
昭和58年1月1日・わがまちやまぐち「写真で見る山口の歴史⑤」に橋脚についての記事が掲載されていますので、原文のままご紹介します。
記事は地元の岡本さんが書かれたものです。
なつかしい有馬線のSL上山口の夫婦松付近を、有馬駅から三田駅に向って走っている国鉄有馬線上り列車の珍しい写真です。(※残念ながら、写真のご紹介はできません:西宮山口編集部)
国鉄有馬線は、大正4年に開通した三田から有馬温泉まで、約12キロを結ぶ鉄道で、中間に塩田、新道場、有馬口(現在の下山口光明寺付近)の駅が設置されていましたが、昭和18年6月末日をもって戦争目的遂行のため廃線の憂き目を見た鉄道です。
この鉄道は三田駅で福知山線に乗り継ぎできた関係上、有馬口駅からは、山口村を始め、隣村の有野、八多方面からの利用者も多く、列車が発着するたびに駅前付近は随分にぎわったものです。
昭和4年、たまたま神有電車(現在の神戸電鉄の前身)が開通した影響もあって、以降利用客も漸減し、廃線直前の時期には客車の連結輌数も1輌か2輌に減らされ、乗客の顔ぶれも、有馬温泉に設けられていた国鉄職員が多かったように記憶しています。
もちろん線路は単線で、三田から有馬行きの最終列車が有馬口に到着するのが午後9時30分頃。
終点の有馬駅に着いた列車は客車を切り離し機関車だけが三田駅の車庫に引き返し、翌朝一番の上り列車を仕立てるため、また機関車だけが有馬駅へ向う方式がとられていました。
有馬口、有馬間は地形状相当急な勾配になっていて、現在山口支所がある西側付近の線路では、機関車の動輪がよく空転をしたもので、ガラン、ガラン、ガランという動輪がから回りする音を耳にしたものです。
この鉄道は開通当時からあまり採算があわない赤字路線であったらしく、有馬駅へ向う列車の音は「だんだん貧乏」「だんだん貧乏」三田駅に向うときは「シャッキン」「シャッキン」「シャッキン」と聞こえるなんてひやかされたものでした。
写真で見られるような機関車がもし現存しておれば、SLファンにとっては、こたえられない存在になることは請合いですが、廃線直前はもっと新型のC12型タンク車に替わっていたように思います。
※有馬軽便鉄道についての詳細は⇒こちらのページへ
また財団法人山口町徳風会が平成22年夏に発行した「山口町史」の266ページ以下で、詳しく書かれていますので、興味をもたれた方はぜひご覧ください。西宮市立図書館の検索システムで所蔵図書館をご確認ください。