今も続く野菜の栽培
船坂地区が清浄野菜の産地として有名になったのはちょうど100年前の大正5(1916)年に大阪の青果商から勧められ栽培したパセリなどが新鮮な「船坂もの」として一気に名声を得ました。
船坂地区は標高約400mの高地で市内中心部より夏期の温度が3~4度低く、野菜の夏枯れ時期でもホウレン草が栽培でき、明治の終わり頃から「有馬ほうれん草」の名で珍重されていました。
立地条件の良さから最盛期の昭和47(1972)年にはパセリだけで年間130トンを出荷していましたが、人手不足や他地域の生産に押され、平成15年、盛況だった出荷組合も解散しました。
【宮っ子(山口版)やまぐち異聞録より】