船坂地域は六甲の山麓に広がる緩やかな傾斜地で、農地が少ない所です。歴史は古く、鎌倉時代初期(1200年ごろ)には有馬温泉に近いことでその名が出ています。
地域の勤勉な村人たちが田畑を広げる手段として、傾斜地の開拓に乗り出したことは容易に想像できます。森林を切り開き、石を積み上げて段々畑を作るのは大変な作業だったでしょう。
段々畑は高冷地(標高約400m)ということもあって、明治の末期ごろから本格的な野菜作りが始まり、夏のホウレンソウは清浄野菜として脚光を浴びました。昭和の40年代までは「船坂もの」として名声をはせましたが、今は出荷数も少なくなりました。
現在も元気な段々畑
苦労がしのばれる段々畑 昭和49年
【宮っ子(山口版)やまぐち異聞録より】