今も続く野菜の栽培 船坂地区が清浄野菜の産地として有名になったのはちょうど100年前の大正5(1916)年に大阪の青果商から勧められ栽培したパセリなどが新鮮な「船坂もの」として一気に名声を得ました。 船坂地区は標高約400mの高地で市内中心部より夏期の温度が3~4度低く、野菜の夏枯れ...
昭和30年頃の天上橋 住宅地に変貌した現在 市内でも有数の大規模な閑静な住宅地・北六甲台。30有余年前、開発される前の北六甲台は「お天上山」と呼ばれる小高い山林でした。その名残りが天上公園に「公智神社旧鎮座跡」の碑として建立されています。 北六甲台へは国道176号からの入り口、有馬川に...
有馬線を走る蒸気機関車(3050形) ・・・ 駅前橋の名が残る駅舎跡(有馬口駅) 平穏なこの山口に汽車が走っていました。101年前の大正4(1915)年4月に、有馬温泉への湯治客や振興策のために三田駅から有馬温泉を結ぶ民間の軽便鉄道が開通。4年後、政府が買収し「国鉄有馬線」が誕生...
・・ありし日の夫婦松 山口夫婦松公園 かっては上山口の松栄橋から東方向を見ると、富士山の形をした丸山を背景に、一本の太い松が立っていました。 樹齢400年以上、16世紀末の天正年間に「豊太閤が自ら植えた名木なり」と伝えられ、地域のシンボル的な存在でした。地上1m程のとこ...
・・・・旧船坂小学校(現 船坂里山学校) 運動場のほとんどがさつまいも畑。点々と見える小さな姿は芋の苗を手入れする小学生たちです。 胸が痛くなるこの風景は、戦争もたけなわの昭和19(1944)年5月の旧船坂小学校(平成22年に廃校)です。食糧難から政...
湖底に沈む前の風景【徳風会提供】 ・・美しい景観の金仙寺湖(丸山ダム) 山口では飲料水の質、量を確保するため、昔からさまざまな努力を払ってきました。 船坂地区は昭和32(1957)年7月、山口地区は昭和33(1958)年8月簡易水道が給水を開始しました。 昭和30(1955)年代後半...
昭和26年頃の村役場(左)と山口小学校(右) 現在の山口センター&さくらやまなみバス 山口村が西宮市に合併した昭和26(1951)年の村役場と山口小学校の写真です。人口が3,500人ほどの地域の行政、教育の中心でした。 昭和40(1965)年代には、交通・流通の要として、さらには大規模開発...
寒天作り風景【徳風会提供】 天草を煮た大釜【山口町郷土資料館】 船坂は冬場の冷え込み、水のきれいな船坂川など寒天づくりには最適地でした。明治18(1885)年、地元の有志3人が共同出資して寒天製造工場を立ち上げました。 船坂の寒天は高級品の「細寒天」。戦前は台湾などへも輸出していました...
村の生活を潤した竹籠づくり【徳風会提供】 輸出の主力、ピクニック籠 山口の名産・竹籠づくりの歴史は波乱に富んでいます。 はじめは有馬温泉の土産物「有馬籠」でした。農家で細々と作られていたのが、明治の半ばに静岡茶の輸出容器になり生産は急上昇しました。 戦争中は貿易が停止。戦後、竹籠がピクニ...
ラケット片手に集まった着物姿にはだしの少年たち。山口尋常高等小学校の高等科の生徒たちです。撮影は明治41(1908)年。106年も昔の写真です。 富国強兵で強い体づくりに、明治政府はテニスを体育教科に取り入れました。と言っても教育予算は貧弱です。 当時は村の富裕な篤志家た...
西宮山口