船坂地域は六甲の山麓に広がる緩やかな傾斜地で、農地が少ない所です。歴史は古く、鎌倉時代初期(1200年ごろ)には有馬温泉に近いことでその名が出ています。 地域の勤勉な村人たちが田畑を広げる手段として、傾斜地の開拓に乗り出したことは容易に想像できます。森林を切り開き、石を積み上げて段々畑を作るのは大...
天然のホタルの生息で有名な有馬川。静かな川がその昔は豪雨のたびに氾濫する暴れ川でした。 戦時中、治山、治水対策が十分でなかったこともあって雨や風が吹くたびに有馬川と西川流域では災害をもたらしました。特に昭和35年(1960)年8月27日の台風16号による暴風雨の被害は甚大でした。山口支所前で道路が...
旧山口小学校は、現在の山口センターや駐車場のある場所にありました。 歴史は古く、明治6(1873)年2月に創立され、今年145年を迎えます。校舎が出来たのは明治10年のことで、北校舎と南校舎があり、山口中学校と山口幼稚園が併設されていました。 明治の末期には、全国に先がけて集団登校、遠足...
戦後の混乱期を切り抜けて町に明るさを取り戻したころ、山口に鼻の長いボンネットバスが走っていました。ガソリン車こそが復興のシンボルでした。坂道の大阪街道、でこぼこ道の有馬街道をあえぎながらも走っていました。 昔を知るお年寄りは「ガソリン車になって良かった。戦争中は木炭バスやった」と懐かしみます。バス...
新しい平成の年になったというのに、山口地域から市内中心部へ車で通れる道路がありませんでした。最短ルートの市道盤滝~船坂線は六甲山の山越えの上、悪路でした。 西宮街道の改修は旧山口村当時からの懸案で昭和62(1987)年7月、事業主体となった県が「盤滝トンネル有料道路事業」(3.5km、内トンネル内...
昭和27年当時の船坂小学校 ・・・・・立派な現校舎(平成22年3月に廃校) 山口地域の自慢の一つは、開校が市内でも一、二番という船坂小学校でした。 廃藩置県や断髪令などで騒然としていた明治5(1872)年、明治政府が学校設立などの学制を公布。その翌年の2月、船坂小学校が開校しました。100...
今も続く野菜の栽培 船坂地区が清浄野菜の産地として有名になったのはちょうど100年前の大正5(1916)年に大阪の青果商から勧められ栽培したパセリなどが新鮮な「船坂もの」として一気に名声を得ました。 船坂地区は標高約400mの高地で市内中心部より夏期の温度が3~4度低く、野菜の夏枯れ...
昭和30年頃の天上橋 住宅地に変貌した現在 市内でも有数の大規模な閑静な住宅地・北六甲台。30有余年前、開発される前の北六甲台は「お天上山」と呼ばれる小高い山林でした。その名残りが天上公園に「公智神社旧鎮座跡」の碑として建立されています。 北六甲台へは国道176号からの入り口、有馬川に...
有馬線を走る蒸気機関車(3050形) ・・・ 駅前橋の名が残る駅舎跡(有馬口駅) 平穏なこの山口に汽車が走っていました。101年前の大正4(1915)年4月に、有馬温泉への湯治客や振興策のために三田駅から有馬温泉を結ぶ民間の軽便鉄道が開通。4年後、政府が買収し「国鉄有馬線」が誕生...
・・ありし日の夫婦松 山口夫婦松公園 かっては上山口の松栄橋から東方向を見ると、富士山の形をした丸山を背景に、一本の太い松が立っていました。 樹齢400年以上、16世紀末の天正年間に「豊太閤が自ら植えた名木なり」と伝えられ、地域のシンボル的な存在でした。地上1m程のとこ...
西宮山口