異文録を振り返って 古い歴史を持つ山口の今昔を古い写真と新しい写真で分かりやすく紹介しようと、平成27年新年号から連載を始めた「やまぐち異文録」も今号で30回を迎えました。 丸5年にわたる大型企画でしたが、取材にあたり地域の皆さんにいろいろと協力をいただき感謝いたします。 まだまだ...
江戸時代、盛んであった浄瑠璃 山口地域に残る三太夫の墓碑 江戸時代の娯楽といえば祭りや盆踊りなどに加えて、浄瑠璃があります。浄瑠璃は三味線を伴奏楽器として太夫が物語を語る音曲・劇場音楽で、近くでは淡路島の人形浄瑠璃が有名です。 当時、山口地域でも浄瑠璃が盛んに行...
船坂川沿いに残る廃鉱跡 旧国道176号を宝塚に向かい、有馬病院前のバス停を越え、七合橋付近から船坂川を下っていくと大きな口を開けた洞窟があります。 小学生の頃、1時間近く掛けて、その洞窟に遊びに出かけたものです。 恐る恐る洞窟の中に入り、手のひらに乗るほどの小さなコウモリを捕まえて...
復活した名来の神楽 公智神社の秋祭りや名来神社の水神祭で奉納される名来の神楽は明治の中ごろに、隣の平田村(現在の神戸市北区道場町平田)から若者が教わったといわれています。 その後、青年団が中心となって引き継がれ、一度衰退しましたが、消防団有志の熱意によって20年ぶりに復活を果たしまし...
昔の街道を伝える船坂の古い道標 船坂内の県道51号沿いに立つ「善照学園」の看板の向かいに、古い石の道標がポツンと立っています。 道標には「右西宮・左大阪宝塚道」と刻まれ、裏面には「大正4(1915)年2月定之」と刻んであり、約100年前に設置されたものです。この道標は以前、太田川源流...
江戸時代の産業・紙漉き 昔、山口村では農家の副業として紙漉きが行われていました。紙漉きを行っていたのは主に名来村、下山口村、上山口村の約60戸で、敷地内にため池(約2坪)を造り、有馬川から道路に沿って設けられた水路から水を引き込み、その場で紙漉きを行っていました。 江戸時代の中頃まで...
広大な墓地・白水峡 船坂の集落から有馬に向かい、約1kmほど進んだ所に蓬莱峡によく似た景観の白水峡があります。 この辺一帯は白い花崗岩の多い丘陵地で、近くには古くから伝わる民話「白滝姫の涙水」で有名な白水川が流れています。 昭和52(1977)年10月、この丘陵地は満池谷墓地や甲山...
地域で守り続ける丸山稲荷神社 毎年、八朔大祭に奉納相撲や餅まきでにぎわう丸山稲荷神社は、戦国時代、丸山山頂に多田源氏一族の山口五郎左衛門時角が城を構え、鎮守のためまつったのがはじめといわれています。 天正(1573~1592)のころ、城主の五郎左衛門が没落し、祭祀は途絶えまし...
中国自動車道の西宮北インターチェンジ(IC)は、山口町の陸の玄関口です。 国土開発の基幹自動車道として、大阪府吹田市から西は山口県下関市まで500kmを超える長大な中国自動車道が完成した昭和50(1975)年、物流センターなどの開発、それに続いて山口町の山林など無人地を切り開き、西宮北IC...
名来と神戸市の境界近くの丘陵地帯。そこに薄暗く口を開けた無気味な横穴。50年前の発掘調査で、意外なことに古墳であると分かりました。 青石古墳と呼ばれるようになったこの古墳は高さ約1m、直径約13mの古墳時代後期の横穴式の石室古墳で、内部は花崗岩。天井は巨大な石で覆われていました...
西宮山口